日記 2021年5月②
5月16日(日)
一日中考え事をしていると疲れるので、何も考えない時間を作ろうと、趣味のようなものがひとりでに生まれるんだけど、頭を使うことが好きなので、休まることはなくて、愚か。
疲れててもいわゆる別腹みたいなつもりで結局やるんだけど、全然頭働かないし、全然頭働いてないから、全然頭働いてないことに全然気づかない。
あとあんまり体の部位を体の部位で例えないほうがいいな。
5月17日(月)
自分の思考がいきなり本質を突いてきたので、とりあえず叫んで打ち消して、落ち着いてから向き合ってみる。
といっても、これからの人生なんて考えてもどうにもならない。
現実について考えてもヤバすぎるという結論になるだけだし、幸せについていくら考えたところで結局答えはない。
でも考えないでいるわけにもいかない。
あー
5月18日(火)
インターネットで検索するときに、関連キーワードに面白くないとかつまらないとかが出る理由がわからない。
そう思う人たちがいることは当たり前だと思うけど、それを検索する層ってどこ?と思う。
負の感情の方が、自分だけが感じていると思いたくない気持ちが強いというのあるかな。
確かに僕も、自分の感覚が世間とかけ離れていてほしくないという気持ちはあり、それが対象に対して否定的なものだったら、自分の心が狭いのかもしれないという思いもあいまって不安になってしまうというのは、理解できるかもしれない。
全然そんなことなくて、普通にみんな性格が悪いだけな気もする。
5月19日(水)
時間はいくらあっても足りないけど、今がずっと続いてほしいという思いは無くて、そんなことって今までなかったから困っている。
たぶん動くタイミングなんだよな、と思いつつ、方向が定まっていないから動き方がわからないと布団にくるまる日々。
追い込まれると何かしらできるはずなので、どうにか追い込まれないかな、とまで考えているが、世界は思ったより優しくて厳しい。
5月20日(木)
○○することがたまにあって、という話し出し方をすることがたまにあって、今日もそれをしたんだけど、その後に続く今日もそれをしたんだけど、の部分で話が減速する気がしてもどかしくなる。
そういうときに最近起こったわけじゃないことなんて普通話さないわけで、それくらいは文脈で読み取ってくれてるんだよなと思いつつ、省略できるほど自明ではないので話さざるを得ない。
これは、あれか、気にしすぎか。
5月21日(金)
横断歩道を渡ることがあるんだけど、そのときに、信号待ちの車をめちゃくちゃ見てしまう。
だって動き出したら死ぬかもしれないから。
まっすぐ前を見て歩いてるのはかっこつけてるの?
とか思ってたけど、久しぶりに日中に外に出てみたら、その理屈で言えば見なきゃいけない車が3方向にいて、前を向いて歩くことしかできなかった。
もうちょっと人が多い世界に慣れたほうがよさそう。
5月22日(土)
日食なつこの曲をちゃんと聞いたことってないなと思って2日間聞き続けていた。
こういうことしてるとマジで時間がいくらあっても足りないんだよな、絶対にやめないけど。
その結果一番好きだったのが水流のロックだったので、どうしたもんかなと思っている。
好きなアーティストの特に好きな曲を挙げるときに、メジャーすぎる曲だとメジャーすぎる曲で申し訳ないって思うし、マイナーすぎる曲だけどマイナーすぎる曲で申し訳ないって思うので、そこに引っかからないような範囲から好きな曲を見つける習性があるため。
サカナクションを聞いていた時期があって、開花という曲が好きだったんだけど、本人のラジオ含めメディアで誰かに言及されているのを聞いたことがなかったので、結局僕も誰に言うこともなくここでひっそりと書いている。
ちなみに、サカナクションの好きな曲は、夜の東側って言っておけば間違いない。
好きな食べ物界の砂肝くらい間違いない。
知ったかぶる機会のある方はぜひ。
5月23日(日)
特になし。
毎日特になしみたいな生活ではあるんだけど、その中でいろいろ見つけて考えて書いている中で、今日は特に、特になし。
5月24日(月)
朝起きてやることを整理していて、その流れでそのまま買い物に行くことにした。
着替えるなどしていると、朝だからというのがあるのか、立っているときの目線の高さにびっくりして、これは発育だな、と思う。
外に出てみると思ったよりも暑く、そういえば春ってほとんどないんだったと思い出し、これは失念だな、と思う。
車道に元々イヤホンだったものがアスファルトと一体化しているのを見つけ、これは擬態だな、と思う。
帰るときは向かい風が吹いていて、僕は買ったものをリュックサックいっぱいに入れていたので、これは遭難だな、と思う。
5月25日(火)
生活に支障をきたす問題が起こり、生活に支障をきたしている。
人に相談することが苦手で、問題に直面したときに、人に頼れない自分に負い目を感じることもあるんだけど、今回は相談とかはしようがないので、救われている。
5月26日(水)
3時間を3回という睡眠でしたが毎回夢を見ずにスッと目覚めてすこしふしぎ。
5月27日(木)
今年の誕生日を迎えた後初の、自分の年齢を書く機会があり、しっくりこないなーと当然思うんだけど、別にこの数字が1つ少なかった1年間も結局しっくりこないまま終わってしまったから、こっからはもうずっとこうなんだろうなと思う。
同年齢の人が表舞台で活躍することを知るのも珍しくなくなってきて、最近さらに、そういう人たちが特に若さを話題にされてないことが増えているように感じ、そんな感じなのねという思いになる。
5月28日(金)
僕は毎日ギリギリで生きているのにそこに金銭は発生していないということは、世界には自分より頑張っている人の方が多いということを示しているようでもあり、それが事実だとしたら世界が嫌だし、もし事実ではないとしたら現実が嫌だ。
5月29日(土)
お笑いが好き。
これは全然良くないんだけど、お笑いが好きじゃない人に、好きな方がいいのにと思ってしまう。
好きなことがあることはただ等しくいいことなだけで、そこにそのコンテンツの質は全く関係してないからね。
それを好きな人が多いことも、人気を測る尺度のひとつではあっても、コンテンツの質が高いこととは関係ないから。
自分が好きなものを評価しすぎないように、好きなものは好きなままで、好きでいないものに対してもクリーンでいたい。
5月30日(日)
本当に調子が悪くて、日常どころじゃないんだけど、その不調の原因も、その原因それぞれの理由もわかっているので、まだ気が楽ではある。
5月31日(月)
夢の中の自分の行動が気持ち悪くて、でも他人の目を気にしないそれっていうのは、自分の欲求を写し出しているようでもあり、自分に素直になれない自分にとってはありがたい。
自分のことを考えすぎていることは、もっと自分が成長してから、気持ち悪くなろうと思う。
読んでいただきありがとうございます。