日記 2021年5月①
ムドーです。
長すぎて分けました。
5月1日(土)
地震。
なんか座ってるのヤバいかもしれないと思って立ち上がったけど、思考力が低下しているので寝た方が良い。
しばらくしても何もなさそうだったので、安心して就寝。
5月2日(日)
なんか急にめちゃくちゃな嘘をつきたくなり、1ヶ月早ければエイプリルフールがあったな〜などと思い出す。
なんだあのイベント。
嘘をついていい日なんて絶対無い方が良いだろ、と思うたびウケてしまう。
Twitterはアカウントの運営元が変わってしまったのでツイートできていないが、見てはいて。
みんなのツイートを見ると、Twitterって裏なんだなって思う。
現実世界という表があって、その表にTwitterは含まれていなくて。
僕その裏とかいうの無いんだけど。
いいなー。
お風呂で嘘の匂いを流し就寝。
5月3日(月)
どんな理由で読んでいる文章でも、言葉遣いによって読むのをやめてしまうことがままある。
対面で話しているときの言葉遣いについては、心配こそすれ、不快になったり無理になったりすることはほとんどないので、なぜなのかはわからない。
理屈で説明しようとすると、文章は準備ができるはずなので、最善を尽くしているものとして評価しているから、なのではないかなどと考えたけど、突き詰めると感覚的な部分なんだろうなと思っている。
いろんな潔癖があるよね、ということが言いたくて。
僕も気をつけよう。
気をつけるに越したことはないのでね、礼儀にあたる部分などは特に。
5月4日(火)
しっかりと音楽の話になるけど、最近Cody・Lee(李)を、ずっと、ペースだけで言えば狂ったように聴いている。
寝付きが悪いので、夜を越えるための唄として聴いているだけでどんどんハマっている。
10代の頃に出会って良かったな、出会いたかったなって思う音楽もたくさんあって、そういう音楽を通じて、過去の自分と同じ気持ちになったり違う気持ちになったりする楽しみがある。
それでも今回は今で良かったなと思っているのは、歌詞の中で色んなバンドをオマージュしているのがわかって楽しいから。
当然すべてわかるわけではないけれど、そこを入り口にして新しく知ることができるので、音楽的な良さによる部分も含めて、単なる内輪ネタとならないような受け入れの広さを持っているように感じる。
僕の文章も色んなものから言葉を借りていて、自覚していない部分も含めると、パッチワークみたいな文章になることもある。
それでも、知らない人は気づかないくらいに落とし込めていると思っているが、わからない。
5月5日(水)
何も成し遂げずに1日を終える。
ちなみに昨日も同じような1日だったのだが、気がついたら眠すぎ〜になっていたので1日を振り返る時間を設けられず、繰り返してしまった。
過ぎたことは仕方ないので、ここから巻き返す僕に期待大。
そうは言ってもこのままでは埒が明かないので、2日分のスケジュールを立てることにした。
やるべきことを書き出して整理することができているときは生活がうまく回るので、早くそうなることを当面の目標とする。
5月6日(木)
起きたら久しぶりに寝癖がついていたが、外出しないのでそのまま過ごした。
国民の権利として教育を受けていた頃の僕は、毎日のように寝癖姿で登校していた。
確かに自分を構成する要素のひとつだったと思う。
当時はどう思っていたか忘れてしまったが、小学生の頃は将棋に打ち込んでいたし、中学生の頃は音楽を貪るように聴いていたので、少なくとも寝癖を悪いものとしては捉えていなかった。
補足すると、当時のプロ棋士は今よりも見られることを意識していない人が多く、僕が聴いていたジャンルの曲名に多かったという理由。
親からはみっともないと言われていたが、みっともないという言葉がピンと来たことが無かったのでしっかりと無視していた。
やがて高校受験が近づいてきて、見かねた親からとりあえず朝にシャワーを浴びて欲しいと言われた。
反抗期が軽かったので、言われた通りシャワーを浴びてから登校したら、身だしなみに気を遣う側の野球部のクラスメイトに「髪切った?」と聞かれ、なんかめっちゃ面白くて朝シャワーを気に入り、それ以来僕のアイデンティティとしての寝癖は鳴りを潜めてしまった。
僕が影響を受けた「髪切った?」はもうひとつあって。
これは普通に髪を切ったあとだったんだけど、あまり頻繁に会っていたわけではないときに言われたことがあって。
見た目の変化に気づくという風習が僕の村には無かったので驚いてたら、「当たり前じゃん」「うちらはそれに命懸けてるから」 と言われた。
急に2人登場させてしまって申し訳ない。
元来身なりを整えること自体には興味が無いけど、相手の容姿にも興味が無い方だけど、努力(髪を切ることは本当にしんどいので僕にとっても努力)に気づけることは相当良いことなので、僕も見つけてやるんだと心に決めた。
努力が報われる瞬間って本当に良いよね。
2人と会うことは距離的にもうできないので、僕も彼らに良い影響を与えられたと信じて、生きていこうと思う。
5月7日(金)
近い未来の自分がどう生計を立てているか、全く想像がつかない。
生きていける可能性があるルートを見つけようと思うものの、マジで無い可能性が怖くて全力で探すことはできていない。
できると思っていたことができなかったりするから、できないと思っていることもできるかもしれないと考えた方がいいのかな。
ただでさえ長期的が努力が苦手なのに、できる可能性があるという消極的な理由で不確定な未来のためにとなると輪をかけてできないよ、思っているけれど。
寝ようと思っていた時間から6時間くらい起きていて、寝るには空腹すぎるが食べるには眠すぎるという詰み方をしてしまった。
無理やり寝た。
5月8日(土)
おもしろ眠り具合:ぐっすり と言いながら昼過ぎに起きる。
なんか暑い気がすると思ってスマホの天気をみたら26℃と書いていて驚きを隠せないでいる。
優先順位を決めるのが下手なりに、死ぬよりは良さそうと思って冷房を付ける。
5月9日(日)
家から出ない生活が続く。
代わり映えのしない生活に嫌気がさしている世間の人々と違い、変わらなければならない未来を憂いている。
5月10日(月)
今の自分は何者でもないな、と感じながら生きている。
ほとんどの人が僕のtwitterを経由してこの文章を読んでいると想像しているんだけど、僕のアカウントをフォローしてくれた段階では僕は何者かではあるように見えていたはずで、それが無くなった今でも読んでくれていることには感謝している。
今すぐにとはいかなくてもいずれかは何者かにならないといけないと思っているものの、適当に言葉を転がすことで簡単に快楽を享受できる体質のおかげで楽しく生きていられているので、厄介だなと思っている。
5月11日(火)
やりたくないことは、起きたらすぐやった方がいい。
気付いたら終わってるので。
髪を切って髪切隆之介になった。
ジャマーっていうネーミング、あまり面白くない割に使われているなと思ったら、妨害物っていう意味のjammerだったのびっくりした。
敬語をどう捉えてるかって、環境が出るよな、すごく。
思ったことを逐一書いていたら文字通り散文になった。
1日って本来こうだもんな。
5月12日(水)
歳を重ねるごとに、相手のやさしさに気づくことが多くなるのを感じるんだけど、それに気づかないフリをすることがまだあまりできない。
僕はそういう気遣いに気づくのが苦手なので、わかるようになってきたことを言いたくなってしまう。
別に気づいてないと思ってもらえばいいだけなんだけど。
5月13日(木)
話題があるとき、相手にどれくらい知識があるかを予想しながら話して、いつも外している気がする。
逆の立場だと自分はどうだろうと考えてみると、知ってたらウケそうみたいな気持ちで知識を蓄えているので、ウケておけば良さそう。
それかそもそも相手の戦闘力を測るみたいな考え方が良くない?
5月14日(金)
ここが面白いですよ、みたいな文章の書き方をできなくなってきてる。
そこがハマらなかったら終わりだから、と考えてしまうとどうしても。
でもそういうわかりやすさも必要だったりするんだろうな。
こういうことは気にしてないという体で書いているのでこれ以上の言及は控えよう。
5月15日(土)
なんの文脈も無くヒッポリトって言ったら、しっぽりと聞き間違えられ、急にしっぽりって言わないよって返したけど、急にヒッポリトって言うなよという気持ちにしかならないな。
読んでいただきありがとうございます。
日記 2021年4月
モチベーションがあったため、長いです。
まとめていることがむしろ不親切と思えるくらい長いです。
4月6日(火)
朝6時だけど桜を見た。
久しぶりに徒歩で橋を渡り、下を川が流れていることに興奮してずっと川を見ていた。
4月11日(日)
改めて今日から、という気持ちでこの文章を書いている。
今日である理由は心象によるもので、ぼやっとしているのでぼやっとしたまま説明すると、現状維持が許容できなくなりつつあるという感じ。
日曜日なので当然未来のことを考えていて、当然わからないんだけど、それでも今までは進むべき道がある程度あり、その道の上を歩いたり歩かなかったりしていた。
でも、今周りに伸びている道は全て、袋小路が見えていて、気付かないフリをしてもう少し進むことはできるけど、という状況に置かれている。
変わることは難しくて、特に自分にとっては難しくて、大変だけど、変わらないでいる今もそれなりにしんどいので、どうせなら変わろうね、と自分に向けてアドバイスをする。
アドバイスありがとう。
4月12日(月)
最近の僕がどういう生活を送っているのか、記録を兼ねて書いておくことにする。
朝4時くらいに起きて、パソコンの前に座っていると、夜8時になっているので、ベッドで寝る。
寝るときに、またつまらぬ日を送ってしまったなどと考え出すと止まらないので、少しずつ生活のサイクルがズレていって、今たまたまキモい時間に寝て起きている。
起きているときは、例えばmtgの配信を見ながらナードマグネットを聴きながらヤジリンを作っている。
目と耳にタスクが2つずつあるのとかもキモいが、人生において優先度が低いとされているやりたいことがたくさんあるのでどうしようもない。
本当に時間はいくらでも欲しいが、何をやってるのかを聞かれると、何もやっていないと答えることしかできない。
暇で忙しいって言うのも話をややこしくするだけなので。
4月13日(火)
気付いたら寝ていたので、上半身で右腕を押しつぶしていた。
起きたら授業開始5分前だったので慌ててパソコンを開きリモート授業を受ける。
絶対に卒業できないと思っている大学の初回授業をちゃんと受けているのは、切り捨てたところで他に成し遂げられることがないから。
4月14日(水)
すっかりあったかくなってきたな〜と思ってたら一昨日からエアコンぶんぶんだった。
僕を救って。
どんな仕事をしていたいかを考えると、ボードゲームのテストプレイをするだけのバイトを思い出した。
週9であれでいいな。
こういう自分の嗜好に合っていて、思考の指向が合った仕事を至高と志向しているけど、完全に出会いだと思うのでどうしていいかわからない。
こうやって文章を残しているのも、いつか来るかもしれない出会いのため、ということで。
4月15日(木)
夜、高校の同級生とゲームをした。
長くなることは予想できていたのに全然寝る準備ができていなかったので、案の定困ってしまった。
たくさん喋ったのは普通にかなり良かった。
2時間しか寝れなかったのは普通にかなり悪かった。
良いことと悪いことが起こっても別に相殺とかされずに良くて悪いんだな。
4月16日(金)
夜、惰眠を謳歌し終わると、通話をしているグループがあったので入った。
まだ上手く回らない舌で、それは微妙ロメンだね〜などと話し、解散に追い込む。
本人が善意であるところも含めてクレーマー然としている。
世界で一番お前が正しいんだよ。
夜、から日記が始まるのは間違っている気がする。
4月17日(土)
夜、未来長い怖い夢見る終わり。
睡眠をうまく取れず体調が良くない。
経験上体調不良の原因のほとんどは睡眠の質と脱水なので、がぶがぶ水を読んですやすや寝よう。
僕は賢くなった。
4月18日(日)
人生楽しみモク男。
楽しみモクという言葉を会話で使いたい言葉リストに入れていたら本当に使う機会が来てびっくりした。
Wikipediaの急上昇をたまにチェックするのだが、たまに記事を読んでもなぜ今なのかわからないことがある。
今回は家族の遺産相続の悶着によるものだった。
こういう場合は大抵ネガティヴインターネットなので、勝手に思って勝手に嘆いて勝手に泣いてしまうのだが、このまま生きていたら知らなかったかもしれない人を1人知ることができたことを、良いことととらえるしかないのだろう。
4月19日(月)
この暮らしにもようやく慣れてきた。
不安なことを吐き出すつもりで本腰を入れて毎日書き始めたのに、気持ちが楽になって習慣だけが残った。
嫌だなと思うことはまだまだあるけど、昨日も寝るのが嫌すぎて寝なかったので体調が悪いけど、大丈夫な気がしてる。
根拠のない自信は強いので持つのがオススメ。
4月20日(火)
歌詞を見るまで wanna say だと思ってたところが ななせ だった。
ものは試しと思って夕方に寝てみたら、自分の欲求が透けて見えるような夢を見て最悪だった。
数え方辞典を見て、一泓(いちおう)という貯水池の数え方を知った。
の3本です。
4月21日(水)
回転椅子に座り回転している。
世界は自分を中心に回っているのだ。
そう自分に言い聞かせている。
そして平凡でも困難な生活はつづく。
バランスが悪くなってきた。
頭がフラフラする。
視界が歪む。
人生とは、認知を歪めていく過程のことなのだ。
4月22日(木)
4月は、年月の経過を認識する機会が多い。
1年あれば環境は変わり、人間も変わる。
僕は変われたのだろうか。
ふと昔を思い返す。
あのとき誰にも知られたくないと思っていたことは、本当は誰かに知った上で受け入れて欲しかったのだろう。
そして、未来の僕も同じことを思うのだろう。
文章はもうちょっと具体的に書いたほうがいいな。
4月23日(金)
書こうとしたことを思い出す過程で、気が狂いそう、って打って消したところを誰かに見られてたら、心配されるところだった。
ただ心にブルーハーツが根付いてるだけなのに。
話は変わって、今年の夏は暑くなさそう。
話は変わって、笑わせたいけど笑われたくない人とは合わないなと感じることが多い。
僕は割となんでもないようなこと(海苔が黒いことなど)で笑ってしまうので、それを快く思われていないなと感じると、違う世界で生きていた方がいいなと思ってしまう。
相手が会話にどれくらいおもしろを求めているかをはかる段階で自重することもあるから、あまり引っかかることはないけど。
僕は相手をバカにする意図があって笑うことは無いんだけど、それが伝わらないことが多く(これは自分が悪い)て、その上でも自分が満足できるような人間関係が築けてきたから、この怠慢は一生直らないんだと思う。
それか眼鏡かけない方がいいのかな。
4月24日(土)
最近寝る前の眠すぎて頭が5%くらいしか働いていない時間が4時間くらい続き、寝たら4時間くらいで起きてしまう。
そこまで珍しいことではなく、無理矢理たくさん起きてから無理矢理たくさん寝ることで対処しているんだけど、今そうすると誕生日は1日寝ていることになるな。
まあ計画などを立てたところでその通りに過ごすことは出来ないので、生きてみるしかない。
4月25日(日)
誕生日だけど、陽が出てる時間はほとんど寝ていた。
僕は人間が好き(周りにいる人たちに恵まれすぎているだけで厳密には好きではないかもしれない)で、それでも相対的に見れば人間に無関心な方(周りにいる人たちが人間を好きになる能力が高すぎるだけで厳密には関心がある方かもしれない)なので、1人でいることが嫌であることはほとんど無かったし無い(現在はインターネットがあることを含め、精神的に孤独ということはあまりないので、本当に自分は独りきりだと思ったときに平静を保っていられるかはかなり怪しい)んだけど、1人ではできないことも当然たくさんあって。
例えば忘れられない日を作ることは、決して1人ではできない。
などと考えながら、気力が無いので何もしないでいる。
たぶんこれでいい。
良い日にすることに比較的価値がある日ではあるけど、無理をするべき日では決してないから。
4月26日(月)
音楽を聴く危険性として、曲じゃなくて曲を聴いている自分を好きになっていることに気付くことが難しいという話を聞くことがある。
それならなおさら聴いた方がいいのに。
少しでも自分を好きでいられるということは、結構得難く、結構大切なことなので。
あと、聴いてる自分が好きなだけだからって自分で言っちゃうっていうのあるよね。
4月27日(火)
あまり執着が無いところとか、好きなものを見つけると軽率にハマりにいくところとか、一長一短とは知りつつも好きだった自分の性癖が、確実に現在の窮状に寄与しているという結論に至り、それを救ってくれる自分の一面を探すものの、未だに見つからない。
4月28日(水)
好きな映画聞かれたときの「橋本愛が出てる方のアバター」っていう答え面白かったなと思って調べたら、Wikipediaの記事の概説にこのエピソードが載ってた。
途端に、載るほどは面白くないんじゃないかなと思ってしまった。
4月29日(木)
夜明け前にゴミを捨てに行く。
雨が降っているので、傘を差して行く。
そういえば傘の捨て方知らないな、とふと思う。
なまじっか17音だったからか、雨音だけが響いている脳内を支配される。
道に落ちているのも盗まれるのもおそらく正規の方法での処分じゃないはずだよな。
などと考えていたらドアの前に戻ってきた。
鍵を閉め忘れていたことに、途中で気づかなくてよかった。
気付いたら不安になってしまっただろうから。
調べたら、傘の捨て方は自治体によっていろいろあるらしい。
今日の真実は真実すぎてつまらない。
4月30日(金)
生活習慣が崩れているもしくは崩れても良い状況になっていることの、僕にとっての明確なデメリットは、寝るなら寝た方が良いし寝ないなら何か活動した方が良い状況になったときに、ただ起きててしまうことだな。
今なんだけど。
そろそろ本当に寝ないとダメだなと思った頃に、ユーモラルってユーモラスみたいな意味かなと思ったら体液性なのか、みたいな、起きてたおかげで得られるものがあり、永遠に寝れない。
読んでいただきありがとうございます。
日記 2021年3月
3月2日(火)
同じアルバムを繰り返し聴いている。
聴けば聴くほど心に違和感なく馴染んでくる。
音楽は、変わらないことを肯定してくれる。
3月11日(木)
いろいろな発言に触れるたび、それがどう批判されうるか、みたいなのが浮かんできてしまう脳になってしまっている。
それらの発言ひとつひとつを、純粋に自分の考え方のみと擦り合わせる機能も鈍っている気がする。
今となってはもう認識し得ない何かが、終わってしまっているんだろうな、などと思っていた。
でも、そのおかげで、自分の周りの人を1人でも1回でも傷付けずに済んだ可能性があるなら、これでいいんだと思うことにした。
あと黙祷しようと思っていた時間を寝過ごしてしまってかなり嫌だった。
3月18日(木)
この日はたくさん書いたんですが載せません。
見せたくないので。
ごめんね。
3月19日(金)
自分が「なんか体に悪いらしい」という理由だけでは生活習慣の乱れに歯止めがかけられないことに気付き、代わりに「乱れたら負け」ということにしたのが1週間くらい前のことで、なんとか生活は続いている。
そして昨夜は28時まで起きていたけどちゃんと9時に起きた(ちょっと何時間寝たか分かりづらいな)。
普通に過ごしていたんですがしっかりと具合が悪いので、夜ふかしをした時点で既に負けていたことに気が付いた。
今日は早く寝る。
眠いし負けたくないし。
3月20日(土)
誇張すると、水芸の動画を見てビー玉のWikipediaを読んだら1日が終わっていた。
3月24日(水)
初めて聴く曲の大サビ前にスクラッチみたいなノイズが入って、スマホバグった?と思って聴き直したら、本当にスマホのせいだった。
3月26日(金)
狩猟笛よろしく、音楽の力を借りてタスクを少しずつ倒している。
人生は、モンハンだ。
MTGアリーナにハマっている。
3月31日(水)
聴いたことがなかった曲をたくさん聴いている。
変わらなきゃいけないのは僕の方なのに。
でもいい曲たくさん見つけたので僕の勝ち。
読んでいただきありがとうございます。
日記 2021年2月
寒いですね。
寒いです。
2月1日(月)
本当であることを面白いと思っていることを自覚し始めた。
スナップ写真集がすごく面白かった。
2月8日(月)
今週は日記をたくさん付けるぞと意気込んで文章を書き始めたものの、何も起こらない日常のため、何も書くことがなくて困ってしまう。
ひとまず今日と明日の予定を立てることにした。
やるべきことが整理出来ずにふわふわ漂っている状態が多いのが自分の課題としてあり、直近の予定を立てるという引き出しが最近増えたのは成長だと思っている。
今日は生活の調整に当て、明日の午前中は散髪と買い物ということになったところで寝る。
2月9日(火)
昨日の日記は午前中に書いたもので、そこから2度の睡眠を終えて18時半に起床。
床屋の開店を待っていたら寝落ちしてしまっていたのでまだ髪の毛が長い。
カロリーを摂りながらtwitterというSNSを見ていたら、突然観たい映画が生まれ、県内での上映が明日で最後だとわかったため、明日観に行くことに決めた。
こういうのを観に行けるかどうかは五分五分なので、祈るしかない。
髪は明後日以降にでも切ろうと思いながら鏡を横目で見て、今日切りに行くことにした。
あと1時間くらいはやっているはずの床屋が閉まっていたので、ついでに、汚すぎて衝動的に捨ててしまった三角コーナーを買い直す。
明日のために正しい生活を目指して布団に入る。
あとは明日の自分に任せた。
2月10日(水)
全然眠れないまま夜が明けてきているので、起きてからしようと思っていた生活を済ませ、家を出る正午の直前まで少し寝るサブプランに切り替える。
ここでしっかりチケットをインターネットというツールを使って購入し、自分に言い訳をさせないようにする。
迷ったらやめてしまう癖を直したいので、自分が無責任気分のうちに自分を追い詰める手段を見つけたら取るようにしている。
思ったより寝てしまい頭が働いていないまま家を出る。
若さを感じられる音楽を聴いて目を覚ましながら、極力直進と着席をし続けるルートを選んで無事映画館にたどり着く。
お金と引き換えに満足感と高揚感を得て帰宅。
当然髪を切ったりお金を下ろしたり食材を買ったりという用事はキャパオーバーになるので意図的に忘れていた。
高校の同級生と離れながらにして遊んで寝た。
2月14日(日)
完全に三日で坊主してしまった。
その間に大きな揺れがあったが、地震の被害は怠惰の蓄積と区別がつかない程度で済んだ。
2月23日(火)
風が強く吹いている。
窓と向かい合うように置いたテーブルと椅子に座り、レースのカーテン越しに揺れる洗濯物を見ている。
こんなことくらいでしか天気を感じられない。
2月27日(土)
夜行性の生き物三匹といろんなゲームをした。
生活は疎かになった。
家のすぐ近くで救急車が2回も止まった。
2月は短いなと思った。
読んでいただきありがとうございます。
iPhoneから送信
日記 2021年1月
あけましておめでとうございます。
ムドーです。
昨年は、多くの人にとって、望まない選択を強いられ続けた一年だったことと思います。
かく言う(かく書く?)僕もそうでした。
思わぬ形で社会の脆さを知り、落ち込むこともありました。
僕は、それでも、大事な一年だったなと思っています。
他の人がどういった生活を送っていたかはわかりませんが、僕は、思考に支配された一年になりました。
家で1人で何もしない時間が圧倒的に増え、良くも悪くも自分と向き合う時間が増えました。
そうして得た新たな考えを、文字や声だけで伝え合い、深めていきました。
自由に人と会えなかったからこそ、人とのつながりを改めて感じられたと思っています。
僕はこの一年でかなり成長しました。
そう言わないのは関わってくれた方々に失礼だろうとも思いますし。
そして、以前よりも少しだけ、人にやさしくなれていたらいいなと思います。
今年は、どうなるにしても、去年以上のイレギュラーにはならないと思います。
だから、出来ることから少しずつ。
願いとしては、世界に期待しなくなった人たちがもう一度期待できる世界になるように。
そして、いつかは、この一年があったから、今のやさしい世界が生まれたんだ、と思えるように。
今年もよろしくお願いします。
1月1日(金)
今年の目標を100個立てることを今週の目標にした。
1月2日(土)
オレンジ色のいい曲が沢山あると思って、プレイリストを作って聴いていたけど、この時期に聴く感じでは全然ない。
夏が色を持ちすぎているのがかなりズルい。
1月7日(木)
実家の引っ越しのために漫画を整理していて、たぶん今はもっと面白い漫画がたくさんあるだろうなあという気持ちになり、あらかた捨ててしまった。
1月8日(金)
今年の目標は、1週間毎日しっかり時間とって考えて40個くらいに増えた。
100個は、しっかりと無理だった。
これからも少しずつ増やして100個にしていくが、このままだと後半はほしい物リストになりそう。
1月11日(月)
6円分残ったQUOカードが出来てしまった。
1月12日(火)
明日は髪を切りたいなと思った。
1月14日(木)
明日は髪を切りたいなと思った。
1月17日(日)
体を動かさないので、右腕だけ疲れている。
1月19日(火)
坂を、少し怖いと思っている。
幼い頃は、坂を、すごく怖いと思っていた。
なんでだろう。
1月25日(月)
他の人の「やらないといけない」を聞くと、自分が「やらないといけない」としている範囲がすごく狭いのを感じる。
1月27日(水)
久しぶりに早く寝たら久しぶりに早く起きられて、久しぶりに二度寝せずに久しぶりにカーテンを開けた。
なんとしても今日を有意義にしないといけないという気持ちすら生まれた。
1月31日(日)
結局今月も髪を切らなかった。
読んでいただきありがとうございます。
日記 2020年12月
12月には、月末まで持ち越さない方がいい感情があると思ったので。
長いです。
12月16日(水)
久しぶりに「千年幸福論」を聴いている。
僕の過去の話をする。
中学3年生になった頃、人生で初めて、自分1人では手に負えないような、大きな不安と直面していた。
少しずつ積み重なってきた世界への不信感と、徐々に近付いてくる、あまりにも先の見えない未来に、押しつぶされそうになっていた。
そんな時期に「SCHOOL OF LOCK!」(以下SOL)というラジオと出会い、瞬く間にのめり込んだ。
どんなラジオなのかについては、その名が示す通り、主に中高生を対象とした音楽番組だと思ってもらえれば、ひとまず差し支えはない。
SOLは、芸能人の名前を冠していないラジオ番組の中では、屈指の知名度を誇っている。
ただ、それは今だからわかる話で、当時の僕は、 (放送時間が平日の22-24時という、中学生にとってはかなり遅い時間だったこともあり)同級生のみんなは知らない、自分だけが知っている世界がここにあるんだと信じてやまなかった。
SOLのおかげで、僕はたくさんの音楽と出会うことができた。
それらは想像もつかないような広がりを持っていて、それまでは親が車の中で流す音楽が全てだった僕は、どんどん飲み込まれていった。
その中の1つが、amazarashiというバンドだった。
ある日のSOLで、amazarashiの『あんたへ』が流れた。
はやく 涙拭けよ
笑い飛ばそう 僕らの過去
そうだろう 今辛いのは
戦ってるから 逃げないから
そんなあんたを 責めることができる奴なんて
どこにも いないんだぜ
真っ直ぐな音に乗せて、真っ直ぐな想いを伝えるこの歌に、僕は心を打たれた。
正確にはもっと複雑な感情だった気もするのだが、当時の僕がうまく認識できなかった感情はペダルに込められ、TSUTAYAに着いた僕はCDを借りていた。
その中の一枚に「千年幸福論」というアルバムがあった。
不安で胸いっぱいで
狂うくらい悩んで
涙拭いて耐えて
何も信じられなくて
困るくらい疑って
泣いた分笑って
都合のいい奴が
増える擦り傷
小馬鹿にするでしょう
amazarashiの曲は、暗い。
歌も歌詞も曲調も全てが、救いのない世界を憂いているような、そんな印象を受ける。
その暗さが、当時の僕の心に刺さった。
そんな中でも、amazarashiは、いつも誠実だった。
不安なときも、落ち込んだときも、無理に元気を出すのではなく、それを受け入れて、向き合っていく。
そうすれば、少しずつ、光が見えてくることを、彼らは知っていたのかもしれない。
心の体調が優れない時期の行動の指針として、今も染み付いている気がする。
僕は君を 君の日々を
どのくらい このくらい
言葉で言えるんだろ
孤独な日々を 底ついた希望も
どのくらい このくらい
僕は知ってるんだろ
人間同士が本当に分かり合うことはできないからこそ、人々は分かり合いたいと願う。
amazarashiは、世界の醜さと向き合うことで、その先に世界の素晴らしさを見ている。
だからこそ、救いのないように聴こえる歌詞の中にも、素晴らしきこの世界への確かな期待を、見いだすことができる。
久しぶりに「千年幸福論」を聴いている。
当時の僕の内側に入り込んで心を揺さぶってきた音楽は、今ではすっかり耳に馴染んでいるのを感じる。
僕の記憶では下を向いて世界の絶望を歌っていたはずの彼らは、しっかりと前を向いて希望を歌っていた。
曲は、変わらない。
僕が、変わったのだろう。
15歳の僕が底まで浸かっていた、深くて暗い沼だと思っていたものは、少しずつ、確実に、僕に希望を与えてくれていた。
闇の底から見上げることで、世界を理解したつもりになっていた当時の自分が、恥ずかしくなった。
これからも、思い出すたびに嫌になるんだろうな。
それがわかっているから、もう「千年幸福論」を聴くことはないんだろうな。
今までありがとう。
ありがとう 大嫌いだよ 美しき思い出
……WANIMAでも聴こうかな。
読んでいただきありがとうございます。
日記 2020年11月
画像が無いと寂しいので、適当な画像ののち文章とさせていただきたいと思います。
11月3日(火)
これは僕がバカなだけだけど、家で何をするにしても、無音だとなんかもったいなく感じて、音楽やラジオを聴きながらやってしまい、リソースをそちらに割いてしまい、集中できないっていう、ね。
11月4日(水)
心配して損したという言葉を聞いて嫌な気持ちになった。
11月9日(月)
生きる理由がたくさんあるので良い。
11月11日(水)
料理、生活に必須な割に必要なスキルが多すぎる。
11月12日(木)
「改めて見ると、M-1グランプリ準々決勝に進出したコンビ全組知ってるなあ」と思ったけど、準々決勝に進出した知らないコンビのネタを全部見た後に「改めて見た」から当然だった。
11月15日(日)
タバコみたいに百害あって一利ないものってまだ根拠がないだけでたくさんあると思うんだよな。
じゃなかったらこんな生産性のない生活にならないから。
僕が。
11月18日(水)
部屋を少し綺麗にした朝に、考え事をしていて、世界への希望が持てたような感覚がして、これは文字に起こさないといけないと思って一旦身体を起こしたら、一瞬で考えていたことを忘れて、思い出そうとする僕と、音をたてて飛ぶ羽虫だけの瞬間が今。
11月18日(水)
ファミマのラジオでななまがり森下が喋っていて、ななまがり森下が喋っているぞ、と思った。
11月19日(木)
果物は意外とキモいものが多いという結論に至った。
11月22日(日)
謎解きは、人生の困難とは関係なく、誰にでも平等な困難なのでありがたいですね。
11月23日(月)
誰がなんと言おうと僕は、運転が荒い人間が優しいわけがないと思う。
11月26日(木)
1日で2回粉瘤の話を聞いて、嫌ーなの、と思った。
11月27日(金)
寝た方がいいな、と思ったら、寝ることができるようになった。
読んでいただきありがとうございます。