日記 2020年12月

12月には、月末まで持ち越さない方がいい感情があると思ったので。

長いです。

 

 

12月16日(水)

久しぶりに「千年幸福論」を聴いている。

 

 

 

僕の過去の話をする。

 

中学3年生になった頃、人生で初めて、自分1人では手に負えないような、大きな不安と直面していた。

少しずつ積み重なってきた世界への不信感と、徐々に近付いてくる、あまりにも先の見えない未来に、押しつぶされそうになっていた。

 

そんな時期に「SCHOOL OF LOCK!」(以下SOL)というラジオと出会い、瞬く間にのめり込んだ。

 

どんなラジオなのかについては、その名が示す通り、主に中高生を対象とした音楽番組だと思ってもらえれば、ひとまず差し支えはない。

SOLは、芸能人の名前を冠していないラジオ番組の中では、屈指の知名度を誇っている。

ただ、それは今だからわかる話で、当時の僕は、 (放送時間が平日の22-24時という、中学生にとってはかなり遅い時間だったこともあり)同級生のみんなは知らない、自分だけが知っている世界がここにあるんだと信じてやまなかった。

 

SOLのおかげで、僕はたくさんの音楽と出会うことができた。

それらは想像もつかないような広がりを持っていて、それまでは親が車の中で流す音楽が全てだった僕は、どんどん飲み込まれていった。

その中の1つが、amazarashiというバンドだった。

 

ある日のSOLで、amazarashiの『あんたへ』が流れた。

 

はやく 涙拭けよ 

笑い飛ばそう 僕らの過去

そうだろう 今辛いのは

戦ってるから 逃げないから

そんなあんたを 責めることができる奴なんて

どこにも いないんだぜ

 

真っ直ぐな音に乗せて、真っ直ぐな想いを伝えるこの歌に、僕は心を打たれた。

正確にはもっと複雑な感情だった気もするのだが、当時の僕がうまく認識できなかった感情はペダルに込められ、TSUTAYAに着いた僕はCDを借りていた。

 

その中の一枚に「千年幸福論」というアルバムがあった。

 

不安で胸いっぱいで

狂うくらい悩んで

涙拭いて耐えて

何も信じられなくて

困るくらい疑って

泣いた分笑って

都合のいい奴が

増える擦り傷

小馬鹿にするでしょう

 

amazarashiの曲は、暗い。

歌も歌詞も曲調も全てが、救いのない世界を憂いているような、そんな印象を受ける。

その暗さが、当時の僕の心に刺さった。

 

そんな中でも、amazarashiは、いつも誠実だった。

不安なときも、落ち込んだときも、無理に元気を出すのではなく、それを受け入れて、向き合っていく。

そうすれば、少しずつ、光が見えてくることを、彼らは知っていたのかもしれない。

心の体調が優れない時期の行動の指針として、今も染み付いている気がする。

 

僕は君を 君の日々を

どのくらい このくらい

言葉で言えるんだろ

孤独な日々を 底ついた希望も

どのくらい このくらい

僕は知ってるんだろ

 

人間同士が本当に分かり合うことはできないからこそ、人々は分かり合いたいと願う。

amazarashiは、世界の醜さと向き合うことで、その先に世界の素晴らしさを見ている。

だからこそ、救いのないように聴こえる歌詞の中にも、素晴らしきこの世界への確かな期待を、見いだすことができる。

 

 

 

久しぶりに「千年幸福論」を聴いている。


当時の僕の内側に入り込んで心を揺さぶってきた音楽は、今ではすっかり耳に馴染んでいるのを感じる。

 

僕の記憶では下を向いて世界の絶望を歌っていたはずの彼らは、しっかりと前を向いて希望を歌っていた。

 

曲は、変わらない。

 

僕が、変わったのだろう。

 

15歳の僕が底まで浸かっていた、深くて暗い沼だと思っていたものは、少しずつ、確実に、僕に希望を与えてくれていた。

 

闇の底から見上げることで、世界を理解したつもりになっていた当時の自分が、恥ずかしくなった。

 

これからも、思い出すたびに嫌になるんだろうな。

 

それがわかっているから、もう「千年幸福論」を聴くことはないんだろうな。

 

 

今までありがとう。

 

 

 

ありがとう 大嫌いだよ 美しき思い出

 

 

 

……WANIMAでも聴こうかな。

 

 

 

 

 

読んでいただきありがとうございます。